2012年10月6日土曜日

尸家重地(オカルト・ブルース)-东成西就1990


このブログでは、香港の映画監督である刘镇伟(ジェフ・ラウ)関連の映画として、こんなのを見てきました。わあ。ずいぶんとたくさん見たものです。

猛鬼差馆(バンパイアコップ) 1987
猛鬼大厦 1989
霸王女福星 1988
尸家重地(オカルト・ブルース) 1990
九一神雕侠侣(アンディ・ラウの神鳥伝説) 1991 (シナリオ)
九二黑玫瑰对黑玫瑰(黒薔薇VS黒薔薇) 1992
玫瑰玫瑰我爱你 1993 (製作+シナリオ?)
東成西就(大英雄) 1993 監督
大话西游之月光宝盒(チャイニーズ・オデッセイ <其の壱>) 1995
大话西游之仙履奇缘(チャイニーズ・オデッセイ <其の弐>) 1995
回魂夜(チャウ・シンチーのゴーストバスター) 1995
黑玫瑰义结金兰 1997 (共同監督)
超时空要爱 1998 (シナリオ)
天下無双 2002
無限復活 2002
出水芙蓉 2007
越光宝盒 2010
东成西就2011 2011

こうやって並べてみると、刘镇伟という人は、田舎がとても好きなように思えてきます。今回、見てみようと思うのは,、

尸家重地(オカルト・ブルース)》 1990

という映画です。

この映画の舞台は、香港島近辺の小さな島の小さな村です。この島は、たぶん、长洲(長洲)だと思われます。

刘镇伟は、长洲島を舞台にした《出水芙蓉》 2007 という映画を撮っているからです。というか、刘镇伟は、长洲のカトリック教徒の家に生まれたというのが、彼の田舎好きの理由のように思います。长洲島がどんなところなのかというのは、観光映画でもある《出水芙蓉》 2007 を見るとよくわかります。

《尸家重地》は、1990年に公開されています。1990年といえば、《赌圣》が公開された年で、この映画のヒットによって、周星驰チャウ・シンチー)は大スターととなり、監督の刘镇伟も有名になります。

今、《赌圣》を見てみると、ちょっときゅうくつなように感じます。実際、刘镇伟は《賭神》に続いて、《赌霸》 1991 を撮っているものの、これ以降、この系列の作品は作っていないように思います。《無限復活》 2002 こそカジノを舞台にしているものの、系列は違うと言っていいでしょう。

王家卫ウォン・カーウァイ)とシナリオを共同で書いた《猛鬼差馆》 1987 で監督デビューした刘镇伟は、実はこの《尸家重地》 1990 において、飛躍的なジャンプを遂げたのではないでしょうか。

現在においても、刘镇伟の最良の作品は《東成西就》 1993 であると言うべきだと思います。でも、これまでぼくは、《東成西就》だけが、刘镇伟の作品系列のなかで、孤立しているというか、浮いているようにも思っていました。

お尻をさわられると感じてしまう女幽霊
しかし、《尸家重地》を見て、ようやくその謎が解けました。《東成西就》の前身が《尸家重地》だったのです。《尸家重地》とは、《東成西就》 1990 なのです。《尸家重地》のラストのクライマックスを見てください。これは、まさに《東成西就》 1993 ではありませんか。

もちろん、これは《猛鬼大厦》 1989 の発展形であることを忘れてはいけません。だから、《猛鬼大厦》 1989 こそが、《東成西就》 1993 の原型であると言えるとも思いますが、《尸家重地》では軽々しさの大幅アップに大幅に成功していると思います。

刘镇伟は《猛鬼差馆》以来、緊迫感のないだらだらとしたお笑いを描いてきたわけですが、《赌圣》では緊迫感のようなものを付加してしまい、それがきゅうくつ感につながってしまいました。しかし、《尸家重地》では、緊迫感から開放された、だらだらとしたお下品でおくだらないお笑いを見事に取り戻しています(どっちが後先なのかはわかりませんが…)。

《尸家重地》において何が新境地なのかというと、ひとつは時間と空間からの離脱というか、物語を破壊していくパワーというか、そんなような逸脱でしょう。たとえば、なんで警察署長は、麻薬取締りにこだわるのでしょうか。なんでみんながみんな下痢になってしまうのでしょうか。なんで墓泥棒が、たぶん粤剧(粤劇)だかで演じられている《白蛇伝説》の舞台(白蛇と青蛇が法海と戦っているシーン)にたどりついてしまうのでしょうか。

ステージが崩れる
この方向性は、刘镇伟の最大の傑作であると言うべき《九二黑玫瑰对黑玫瑰》 1992 で、見事に結実します。あるいは、《大话西游》1995、《超时空要爱》 1998 、《天下無双》 2002、《越光宝盒》 2010 などの穿越タイムトリップ)につながっていると言ってもいいでしょう。

もうひとつは、鈴木清順木村威夫ばりの様式美の確立です。これもラストのクライマックスで見事に昇華されます。文字どおりのワイヤーアクション(!)もそれはそうなのですが、まずは始皇帝の悪霊とのやりとりこそは、中国のお芝居や歴史などの伝統の様式化であるはずです。あるいは、お化けたちとの追っかけごっこなども様式美のひとつに数えていいでしょう。


巨大な脚
そんなわけで、昔の刘镇伟の映画を見る楽しみは、パロディ映画を見て過去を振り返る楽しみよりは、未来を覗き見る楽しみのほうが大きいわけです。ぼくたちは、《尸家重地》を見ながら、未来の刘镇伟の映画の数々を覗き見して大笑いしましょう。

たとえば、《インディ・ジョーンズ》のパロディを展開していたはずが、いつの間にか金庸の《神雕侠侣》が展開されてしまいます。これ以降、刘镇伟は《九一神雕侠侣》 1991、《黑玫瑰义结金兰》 1997 などにおいて、いったいどれだけ金庸《神雕侠侣》を語ったことでしょうか。

屍家重地法海生孩子篇


屍家重地 風流鬼 盧冠廷

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